令和元年11月 月次祭 宮司講話より

~宮司講話より~

 霜月の月次祭の御儀滞りなくお仕え申し上げました。本日は大変よいお天気で、霜月という名にはふさわしくないほどの小春日和でございます。
 11月という月は大切な月で、新嘗祭という重要なお祭りが斎行される月であります。新嘗祭とは天皇自らがその年に収穫された新穀を神々に捧げ、国家国民の安寧とご五穀豊穣を祈り感謝し、その供物をみずからいただくというお祭りです。全国の神社でもそれが行われますが、それは天皇さまの大御心をいただいてそれを全国津々浦々に広める役割があるからです。
 神社で行われる祭事には公祭と私祭がございます。朔日は月が立つ日で、その日に行われる月次祭は公祭の一つです。公のお祭りは何を神々に祈るのか、と申しますと、まず天皇(すめらみこと)の大御代つまり、天皇さまのこの世、世の中がまずは安泰でありますよう、それに併せ国家の隆盛を、そして氏子の家々、今日ご参列いただきました皆様方、崇敬者のお幸せをお祈りしております。
 神社では毎日日供祭を行います。その月の節目としての月次祭、更に大きなお祭りがあります。先月は当社の例大祭がございました。
 また今月は天皇様が御位につかれて初めての新嘗祭として、大いなる新嘗祭の意味の大嘗祭がございます。14日15日に「 悠紀殿 ゆきでん 」「 主基殿 すきでん 」という二つの臨時に建てられました大嘗宮という御宮にて、国の東西より、この度は栃木と京都で収穫された特別のお米を始め種々の供物を天皇陛下御自ら皇祖天照大御神さまに奉り、お召し上がりになり神と一体になる、そして国家国民の平安を祈る特別な祭事です。実は天皇さまの一番のお役目は祭事なのです。
 人は祈る動物と言えます。神仏への特別な信心がなくても、窮地にあったときにはだれでも祈ると思います。自分自身だけでなく、身内の為にも祈るでしょう。天皇は常に国民の為に祈るご存在なのです。この祈るということが宗教の原点で、私達は常に祈るという心を大切にしたいものです。
 当社には神職が五名おりますが、神様の啓示を受け取る能力のある一人が生き方の指針になればと、神社の待合所に毎朝、神さまからの啓示のプリントを置いてございますが、今日は大嘗祭とも関わりありますので、その神の「言の葉」をご紹介いたします。
 今日は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)のお言葉です。宇迦之御魂神さまの宇迦(ウカ)というのは食物を表す言葉であり、稲を表す言葉でもあります。稲は「命根(イノチネ)」つまりは命の根っこということで、そこから「イネ(稲)」という言葉が生まれます。そのタマシヒを稲魂(イナダマ)といいます。この神を宇迦之御魂之神といいます。この神は更に、五穀豊穣、養蚕をつかさどる神様として、またそれから発展して商売繁盛・殖産興業のご神徳をお持ちの神様として、広く信心されるようになりました。
 さて、今日の言の葉です。「たわわに実った稲が頭を下げているその姿は美しいが、人はすぐにその実りばかりを欲しがる。しかし、稲が実をつけ、収穫する時を迎えるまでには、その時その時の、様々な段階がある。種もみがまかれて根を張り育ってゆくまで、いくつもの成長の過程があり、そのどれもが大切である。だからその段階一つひとつを楽しみ、喜び、祝いながら過ごしてゆくと良い。その一つひとつの段階を祝いながら大切にすることで、やがて大きな実りと収穫の時を迎える。 今日もお健やかにお過ごしください。」今日の神様のおことばはお稲荷さんのご掲示です。この言葉を胸に収められ、日々の指針の一つにされればよろしいかと思います。
 今年もあと二か月になりましたが、今年を振り返りまして一番心が痛むのは、災害が例年にも増して大きくなっていることです。つくづく自然の猛威を思い知らされます。
 我々は自然の力にあらがって策を為しますが、それをさらにさらに上回って自然は猛威を振るってきます。日本人は太古より自然とともに生きてゆくという姿勢で生きてきました。西洋では自然を征服するという心持がありますが、明治開国とともにそうした精神が近代文明として入ってきたとものでしょう。
自然とともに生きてゆくという心を忘れてきているのかもしれません。急激な文明の発展にようる影の部分は自然を犠牲にしてきたツケなのでしょうか。
 世田谷という地名を考えたとき、この地の谷間には「伊勢田」という、伊勢の神宮に献上する稲田があり、そこから伊勢田谷(いせたかい)→せたかい→せたがやとなったと言われます。水田には水が必要なので川のそばに、しかし、住民は川の氾濫の水害から命、住居等を守るため、高台に住んでいました。そして畑では粟を作り非常食としました。それが生きる知恵であったのですが、そうしたことが利便のためだんだんと忘れ去られてしまい、危険と隣り合わせになったのだ思います。大嘗祭で天皇陛下が奉る主なる供物は米と粟の飯です。祭事の最後にそれを召し上がります。大嘗祭を前にして、太古より伝えられた精神を、振り返ってみて頂きたいと思います。