令和2年 2月朔日 月次祭 宮司講話より

本日はお寒い中二月一日の月次祭にご参列をいただきましてありがとうございます。

私どもは、日本人として日本のことをよく知ることが大切でありますが、日本の言葉を知るということが一番わかりやすいのではないかと思われます。

暦では二月のことを「如月(きさらぎ)」と申します。「きさらぎ」とは「更に着る、重ね着をする」ということだと思います。寒い季節ですから。漢字は「如(にょ・じょ・ごとし)」という字が当てはめられました。

なぜ「きさらぎ」にこの漢字が当てはめられたのでしょうか。日本の言語はかなと漢字を使いますが、それではこの「如」という漢字の本当の意味は何なのかを考えてみたいと思います。この漢字は女偏に口と書きます。「口」というのは祝詞を入れる箱のことをいうのです。昔、卑弥呼という女性がおりました。神に祝詞をあげて託宣を聞き政治(まつりごと)を行いました。祭政一致の時代の時のことです。女性というのは昔から神様と交信する力が強いと考えられたのです。  

今でもわずかではありますが沖縄にノロ(祝女)という女性の神官を世襲している方もいるとのことですし、また東北にはイタコという死者の霊を呼ぶことを職としている女性もいます。それゆえ「如」が使われたことは、とりわけ神事に関わり深い月と考えることができます。

つまり、二月には日本人にとって重要な「祈年祭」というお祭りがあります。「年」とは稲のことで、豊作を祈る祭りなのです。稲を主食とする日本人において「祈年祭」はもっとも重要なお祭りであり、このお祭りがあるからこそ「如」という漢字が使われたのではないかと思われるのです。また今月は節分があります。本来、立春、立夏、立秋、立冬と春夏秋冬の節目の前の日を節分と申しますが、現在は立春の前のみの節分が残っています。これは春を待ち焦がれる気持ちが強いからでしょう。立春の前のお祓いの行事。それは鬼を祓うという形となって今に伝えられています。それを鬼やらいと申しますが「鬼」というのは諸々の罪穢れ諸々のやましさなど禍々しいもののことで、それを祓うということなのです。

鬼という字はもともと亡くなった人の姿のことを言います。亡くなった人は目には見えません。死者の姿は目には見えないけれどそこにいる。隠れているという意味の「隠(おん)」という音が転じて鬼(おに)と呼ばれるようになったといわれます。春を迎える前に鬼を祓うのです。祓う力のある大豆で鬼を打ち払います。

当社でも3日の午後4時から節分祭を行います。そのあと豆まきがあります。この月はとても大事なお祭りのある大事な月であることをお心に留め置かれまして、清々しく二月をお迎えいただけますようお祈り申し上げます。