令和2年 6月朔日 月次祭 宮司講話より

6月月次祭宮司講話より

 

本日は六月の月次祭にご参列をいただきまして誠にありがとうございます。六月は旧暦ですと「みなづき」と申します。水の無い月と書きますが、「無」は「の」の意味で、水の多い月ということなのです。10月の「かんなづき」も神様がいない月と書きますが、重要な稲の豊作を祈る儀式を行う月、つまり伊勢の神宮では神嘗祭という最も大事な儀式が行われ「神の月」の意味となるのと同じです。

今日お集まりの皆様も、ここ数ヶ月祈りを深くされる日々をお過ごしであったかと存じます。参道の茅の輪を通ったと思いますが、630日には夏越の大祓という罪穢れを祓う御祓いの儀式が行われますが、その時には茅の輪をくぐり疫病祓いの神事も行います。今は茅ではなく、笹の葉でございますが、20日過ぎに茅の輪を作る予定ございます。笹には抗菌作用があり、お団子などを包むのに使われたりします。また、笹も茅も葉先が鋭く、魔を切るという意味付けがあります。

 このように疫病退散の祈りの儀式を行うわけですが、今特別な祈りの時でもありますので、今日は祈りについて少しお話をさせていただきたいと思います。

 お手元の社報をご覧ください。5ページ上段の「大御心」の昭憲皇太后の御歌をご覧ください。「田にはたに いでぬ日もなき さと人の 身に労(いたつき)ぞ おもひやらるる」

昭憲皇太后さまの農業に携わる人々の労苦に対しての、いたわりと思いやりの御心が歌われています。今この時この御歌の「農民」を「医療に従事する(生活を守る)人々」に置き換えますと「朝も夜も治療にむかう人たちの身の苦労におもいやられる」の御心になります。私たちは緊迫する中で治療する医師と看護師、その共同作業をする人たち、また他分野でウイルス対策に従事する人たちに対しての感謝とそして生活を守り続ける人々に対して、この御心のようないたわりと思いやりの気持ちを持ち続けたいものと思います。

先日もブルーインパルスが医療従事者の方々への感謝と敬意の気持ちをこめて飛行いたしました。世界の中でも日本の医療体制が優れていることにも感謝の気持ちを忘れずにもっていたいものです。

 また6ページの「祈り」という文章がございますが、今多くの人々により新型コロナウイルス感染症の早期終息への祈りが集められております。たとえば奈良の東大寺では仏教の宗派を超え、宗教を越えての祈りの活動への呼びかけがなされました。思いやりや支えあいに満ちた世界になるよう、一人ひとりが心を添えることで安穏な世界が実現することを願い、私ども当社の神職も日々八幡さまに謹んでお祈りさせていただいております、という文章です。

物の時代から心の時代になると言われて久しいのですが、本当の幸せとは何なのか、物欲を満たすことではなく心の豊かさを得ることこそ人として真に求めるべきことではないのか、その迷いを強く考えさせられる状況に今私どもは置かれております。今後はいままでのような大きな経済発展はのぞめないことと思います。まさに心の時代の到来と言ってもよい流れになってまいりました。

神道が古代より今日まで続いてまいりました理由は、自然の理に叶う歩み方を行ってきたからだと考えることができます。どうか無理なく神の恵みや脅威に謙虚にお過ごしになってください。疫病への十分な対処と幸運をお祈り申し上げます。