令和2年 10月朔日 月次祭 宮司講話より

【10月月次祭 宮司講話より】

本日はお忙しい中、10月朔日の月次祭にご参列くださいまして、誠にありがとうございます。

10月は旧暦で神無月(かんなづき)と申します。「かんなづき」とは「神の月」という意味で、「の」という音に「無」という漢字が当てられました。当社も今月例祭が行われますが、多くの神社で収穫を祝う祭りが行われる月でございます。

伊勢の神宮では10月17日は神嘗祭(かんなめさい)が行われます。そのため伊勢では神嘗正月(かんなめしょうがつ)といわれます。神嘗祭は一年で最も重要な祭りの一つなのです。

ところで、「捨てる神あれば拾う神あり」という言葉がございます。七年前当社に一羽のうさぎが参りました。どうやら捨てられたうさぎのようなので、神社でそれを預りました。ピーターラビットと同じ種類のウサギでしたので「ピータン」と名付けました。性別がわからなかったので、どちらでもよい名前をつけたのです。また、穴を掘る習性のあるウサギなので、土の上で飼いましょうということになりました。その後あともう一羽のウサギが神社に参りました。事情で飼えなくなってしまったウサギを引き取ったのです。捨てられたという不幸な状況にあった雄ウサギのピータンが、ハッチーという伴侶を得てその後たくさんの子宝にも恵まれました。二羽が掘った穴から手のこぶし大の大きさの子ウサギが次々と出てくる様はかわいくて、かわいくて大変癒されました。その後子ウサギたちは多くの方々にもらわれてゆきました。

兎の寿命は7~8年と言われますが、ピータンは昨日息を引き取りました。ピータンとハッチーは夫婦の鏡、大の仲良しでした。そのピータンが身罷りました。悲しい事でした。けれども多くの人に愛されて好物を沢山いただきましたり、毎日インスタグラムで写真をUPしていただきました。旅立ってはいきましたが最期まで幸せウサギであったと思います。

命(いのち)はいつか終わります。命とは生きる力、生きる霊力であると思います。「いのち」に命令の「命」という字があてられたのは、目に見えぬ世界からこの見える世界・現世に生まれる時、神様の命令を受けるからなのです。この世界で果たすべき使命を果たして目に見えぬ世界へと旅立ってゆく。それが日本人の生命観・死生観なのです。神によって使命をいただく、使命を終えた順にあの世に旅立ってゆく。ですから自分の命を絶つのは神に対する冒涜ともいえるのです。命を活かすのはどうしたらよいのか。極力病気やケガをしないストレスをもたない等、その使命が十分発揮できる状態であることが最良でありましょう。

今月は神の月。我々は神のご加護をいただいている、活かされているということと命の関係を考えてみました。皆様も命を大切に、大事にしていただきまして、お体健やかにお過ごしいただきたいと思います。

精神的にも厳しい時ですが、拾う神もあることを思い出していただきまして日々をお過ごしいただきますよう願っております。