
本日は5月朔日の月次祭にご参列をいただきましてありがとうございました。
今ちょっと揺れました(地震)けれども、この建物は耐震補強工事をしておりまして、10年前の東日本大震災の日に完成し、午後より耐震検査をすることになっていたのですが、まさにその前にあの地震がありまして、耐震強度が証明されたということになりました。
さて、旧暦5月は皐月(さつき)と申します。皐月(さつき)の「さ」という言葉は日本人の主食の稲を指す言葉です。その稲の苗を植えるのが「さつき(五月)」なのです。我々日本人にとっては稲が命の根なのでいのちね=いねと言います。米=こめというのはやはり稲魂(いなだま)がこもっているのかなと思います。米(玄米)は完全食品といわれております。人間が必要とする栄養素の約八割が玄米に含まれているのだそうです。お米を主食としたことによりわずかな副食でこと足りたのです。お米を摂って日本人は生かされてきました。「さつき」という言葉からお米のことを考えてみました。
我々日本人にとって神社というのはどういう存在なのかということを考えますと、現在約八万ほどの神社がありますが、太古の昔よりなくなることなく存在しております。それは、人が住む土地には、守護神が必要になります。守ってくださる神さまとして一番身近なのは亡くなった血縁の先祖でありましょう。自分たちの先祖をお祀りするということ。そこには安心感、信頼感があります。それが神社の始まり氏神信仰なのです。
神社という言葉の「神」にも「社」にも示(しめすへん)が付いております。「示」はお供え物を捧げる台のことです。「神」のつくりの「申」は稲光の形を表し天の神を、「社」のつくりの「土」は土地の神を表します。天神、地神をお祀りするのが神社です。また「社」という字は会社とか社会という言葉に使われますが、「社」が組織や集団の中心にあることを意味します。会社でいいますと社長さんが会社の中心となりますが、社会の中心には神社があって守り神がいらっしゃるのです。
新型コロナウイルスに現在私どもはさいなまれております。去年の宣言があって寺社は扉を閉めたところがございましたけれども、神社は心の重荷を置いてくるところだと思います。だから閉じてはいけません。人を受け入れる神社にはあらゆるところにお祓いの装置があります。まず鳥居があってそこをくぐることで浄められます。次に手水を遣い身を清め、進む先には阿吽の形の狛犬によって魔を祓われ、そしてお賽銭箱のところにあるお鈴によって更に浄められます。心の重荷を消す装置がある神社で、ご神気をいただき、前に進むことができる。そういう場所であるということです。ですから常に門戸は開かれていなければいけません。ですから神職は朝早くから清掃をして清々しく神前を整え、お参りの方に生気を甦らせ、お帰り頂けますよう、日々努力しております。今外に出るなと言われておりますが、閉じこもってしまうと、心が萎えてしまいますので行くところを選べばよいのではないかと思います。出かける場所として神社は最適ではないかと思います。
これからの歩みを健全にしていただき、ご健康でお過ごしいただきますことをご祈念いたしましてごあいさつに代えさせていただきます。