
【令和3年 9月月次祭宮司講話より】
本日は9月朔日の月次祭にご参列をいただきましてありがとうございます。
9月になりますと少し暑さが和らいでまいります。この9月を旧暦では長月と申しまして、長い月と書きます。わが国には二回雨期がございます。申すまでもなく一回目は梅雨の時期でございますが、9月は秋の長雨が続く時期であることから長月と言われたとの説がございます。
また旧暦では、7月初秋、8月仲秋、9月晩秋で、今月は仲秋となります。「仲秋の名月」と我々日本人は月を愛でる心をもった感受性豊かな民族でとりわけ大空の澄んだこの季の満月を「仲秋の名月」として拝しました。皆様にはそれぞれ心の中にお月様とのかかわりがおありになることと存じます。
私の父は酒飲みで、子供の頃よくお酒を買うお使いをさせられました。当時お酒は量り売りで、一升ビンをもっていくのですが、夜の帰り道、街灯もなく月明かりの道を一人歩いて帰ります。その上をお月さまがずっとついてくるのです。ああ、お月さまが明るく見守って下さるんだなという不思議な心持ちがしたものです。その印象がずっと今も胸に残っています。
日本の神話の中ではお月様は月読尊というお名前で出てまいります。日の神である天照大御神の次に生まれてくる貴い神様です。しかし神社ではこの神様をお祀りするところはあまり多くはございません。伊勢の神宮にある月読宮、月夜見宮が代表的な神社となります。
日が陽であれば月は陰です。陰と陽がうまく合わさってゆく。明と暗が我々の心の中にあります。心の中の闇に光をともしてくれるのが月読尊というありがたい神様なのです。神道では日は命の光であり、月の光は浄めの光です。心の中がお月さまによって浄められる。そうした信仰を我々は持っているのです。
さて昔の暦は太陰暦でございました。新月は真っ暗闇で15日に満月になって欠けていって又新月になるという暦です。ですから一か月はだいたい30日のサイクルで回っているわけです。暦というのは月の満ち欠けを読んで作るものでした。ですから月読尊は暦とも深いかかわりのある神さまなのです。暦というのは農耕にはとても重要で頼りとするものでした。その暦を伊勢神宮が発行しておりました。
また今月はお彼岸がございます。「彼岸」というのは、三途の川の向こう側、つまり亡くなった方の世界です。そして此岸というのがこちら側、この世の世界でございます。秋分というのは春分ともに昼と夜の時間がちょうど同じになります。昼は生者の世界、夜は死者の世界と考えます。お彼岸ではその二つの世界が一番近くなるという時なのです。それ故に先祖をまつります。今月はそういう重要な年中行事が行われる月ということを、どうぞ頭の端においていただけましたらと思います。
このひと月も大神様の御力をお受けいただきましてご健勝にお過ごしいただきますようご祈念申し上げまして、月次祭のご挨拶とさせていただきます。