令和3年 12月朔日 月次祭 宮司講話より

令和3年12月朔日月次祭宮司講話より

 

ことしも最後の月となりました。

旧暦の十二月、師走の月次祭にご参列をいただきましてありがとうございます。

師走とは「師が走る」と書きます。師とは人から仰がれる存在であろうと思われますが、ある説ではお坊さんのことであると言われます。年末に檀家を回り、檀家の方々は仏さまに罪の告白をし、許しを受け、そして清々しい気持ちで新年を迎えるという法会があるのだそうです。神社においては、大祓式がございます。祓い清めて新しい年に向かうご神事です。

仏壇というのは本来ご本尊様をお祀りしご位牌も仏としてご一緒にお祀りされる聖所です。

私の若いころは修学旅行で、たくさんのお寺や神社をお参りしました。奈良の薬師寺という御寺に当時高田好胤という方がいらして子供たちにわかりやすく仏教のお話をしてくれることで有名でした。子供たちに「人は死んだら仏様になります。50年たったら神様になります。」とおっしゃったのです。とてもわかりやすいですよね。

仏というのも神様のひとつであるというとらえ方です。日々祀られることにより魂が浄化されて、それが大きな力となる。実は氏神さまというのも、地域の方々の先祖霊の集合体です。我々のことを一番思っていてくださるのは身内ですが、その集合体というのはとても力がありますし、そういうことで仏が神となるという一般的な観念につながるのかもしれません。

そういうことはさておきましても、一年で最後の月に自分の罪を振り返ってみる。誰しも知らず知らずのうちに罪を犯しているのですからそれを祓い清めて新しい年をお迎えするのです。日本人の先祖から受け継いできた心の在り方です。

 

コロナも安定してきましたが、新たな火種も見られますので自重しなければなりません。皆様におかれましてもお健やかに新年をお迎えいただきますよう願っております。

少し早いですが、皆様どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

これを以ちまして月次祭のご挨拶とさせていただきます。