
四月、卯月朔日の月次祭にご参列をいただきまして誠にありがとうございます。
日本の年度は4月だと思います。当社も昔9月だったのですが、世間にあわせて4月にしました。4月という月は心萌たつ時期ですので、それが始まりにふさわしいのではいつかとつくづく思います。
私は石川県輪島で生れ育ちまして4月の思い出は桜です。4月は桜のもとで入学式が行われましたし、8日は花祭でお釈迦様に甘茶をあげるお祭りを皆桜の中で行われて、心が浮きうきした思い出が残っています。そのあとあたたかい風で桜が散らされる。それはさみしくもあるのですが、新しい年度が始まるのだという引き締まる思いがしたものでございました。
つい先日北海道の襟裳の住吉神社に行ってまいりました。そこの先代宮司の30年祭、亡くなって30年目の御霊祭りにご奉仕してまいりました。
当日は大地が白雪で清められた中、8人の愛子と家族が参列し父宮司、家族の御霊への感謝の気持ちを伝え、またそれぞれの家のできごとをご報告してお守りをいただきたいということでした。「親思う心にまさる親心」とは吉田松陰の辞世の歌にありますが、その心を改めてかみしめたことでした。神主ですので神道式の慰霊祭ですが、神道では亡くなると俗名の下に尊称として「命(みこと)」が付きます。命は「おんこと」「かみごと」と同じです。天照大御神と須佐之男命は御姉弟ですが須佐之男命には「命」という字がついております。「命」は「神」より格下ですがこの意味は重要です。見えぬ神の命令をうけてこの世にその使命を果たしきって、そしてまた目に見えない世界に還り、神になる。一人一人寿命が違うのはそういう事なのだと思います。
わたしは74歳ですが先代の宮司は96歳で身罷られました。私はまだ使命が残っているので生きています。命はいのちとも訓み「生きる力」「一生」の意味にもなります。それゆえ、命を自ら絶つということは神のご意思に反すること、命を大切にすることはそのご意志に添うことであります。皆色々な事がありますが心を強く生きるのが世の為、自分の為の使命です。命を大事にしていただきたいと思います。
年度のはじめということですこし重い話をいたしました。ご健康でお過ごしいただきたいと願っております。
ただ健康に生きていてもロシアのような国が侵略をすることがあります、私たちを守ってくれる国家のありようを考えることも今必要とも思います。
どうかごご健勝でこれからも歩んでいただきたいということを心からご祈念申し上げてご挨拶とさせていただきます。